愛しのキャンディ

いつもどんなときも自分の命より大事に思っていたワンコの姿をしてるだけで

ずっと人間として一緒にいてくれたキャンディが3月20日午後5時30分頃に

息を引き取ってしまいました。

俗にいうペットという言葉はわたしにはとても受け入れにくく、ずっと人として接してきました。

SNSではよく亡くなった姿を載せておられる方もおられますがわたしにはできませんでした。

普段から写真も動画さえも数えられるほどしか撮ることもしてきませんでした。

言葉では表しにくいけれど面倒だからとかそんなでもなく

多分、自分自身も写真に撮られるのが好きではないからという安易なことだったかもしれません。

なのでこのブログにもほとんどキャンディの写真もそんなに載せるわけでもなく活字だけになるんだろうなと思ってます。

今年のクリスマスも来年のお正月も一緒に居られるようにとついこの間までそう信じていたのに。。。

キャンディは一歳のときに二人の男の子と二人の女の子を産んでくれて

いつもわたしの隣で寝ていたのでお産が朝方未明からまだわたしが寝てる間にひとり、ふたりと産んでいて、本当に驚かされたのは何も教わったわけでもなく、一人でへその緒を切り、ちゃんと舐めて全て一人で処理していました。

その頃はまだ家族もあり起こされてようやく気が付いたころにはさんにん目で

末っ子で唯一里子に出さなかった今居てくれる忘れ形見のアニーを産み落とすのだけ記憶では少し時間を要した記憶が残ってます。

それまでたった一度さえもハウスはあったものの入ることもしなかったのが

よにんみんな産んで自分で全部処理してから甲斐甲斐しくハウスへ自分で連れて行き母性という本能の凄さを初めて実感させられたのを今も鮮明に覚えています。

わたしたちが子供たちの様子を見に取り上げようとすると直ぐに取り返しに来てたのも凄く覚えてます。

あれから12年もっとしてあげられることあったのに後悔ばかり、というよりもういくら呼び掛けてもいないことが信じたくない、いつまでも嘘であってほしい

そんなことばかり思ってしまいます。

忘れ形見のアニーがいてくれるとはいえ、いつも三人でいられたのに

いつも当たり前は当たり前ではないことは自覚していてもやっぱりいてほしい、

会いたい、そばに居たい。

もう二週間経って、お骨は悪かった腎臓辺りの黒く残っていた骨以外全て納めさせてもらい、もうこれからもずっと一緒だという何か別の安心感も少しありますが、人間の言葉を話せないだけで全てわかってたキャンディに会いたい。